「楽焼の〝楽″てなんですか?」という質問をよくされます。
楽しいから? 焼く時間が短く、簡単に(楽に)できるから?
もちろん一般的な焼き物に比べ、短時間で焼くことができて、小さな窯で楽しめるやきものです。
そんな質問に答えるときは「樂家がはじめたから。」とざっくり答えています。
テラではこの夏2回の楽焼を行っています。2回目を9月末に控え、ただ今会員のかたは、成形、削りの作業を進めています。
今日も楽焼についての質問が幾つかありました。
そこで今日は少し詳しく楽焼の〝樂″について書こうと思います。
約400年前、桃山時代、茶の湯をかたちづくった千利休が、自分の茶の湯茶碗を長次郎という男に造らせました。
利休の茶の湯の思想、「侘茶」。黒楽茶碗、赤楽茶碗はこの「侘茶」の思想にかなう茶碗として「宗易形ノ茶ワン」として誕生したといわれています。
当時の文献で初めて長次郎の茶碗が記述されるのが、1586年、『松屋会記』、
「宗易形ノ茶ワン」を茶会で使用したと残っています。宗易、つまり利休形の茶碗。まさにこれが長次郎作の茶碗のデビューだと考えられています。
しかし、「宗易形ノ茶ワン」という記載は1回限りで、これ以降は「今焼茶碗」と記載が変わります。(今焼=現代の焼物)
更にその後、利休、長次郎没後に「聚楽焼茶碗」という名称に変わります。
この間に、どのような経緯で名称がうつり変わったのかは記述にはないようです。
想像ですが、こんな感じだったのではないでしょうか?↓
~約400年前、ある茶会にて~
宗易(利休)「どうこれ?新しい茶碗造ったんだけど。すごくない?
この黒、ブラックホールみたいに、吸い込まれそうじゃない?」
お茶友達(茶人中坊源吾)
「いいじゃんこれ!今までにない形だね。
『宗易形ノ茶ワン』て呼ぶ?」
~しばらく時が経ち
Aさん 「最近、利休さんが造った『宗易形ノ茶ワン』流行ってるらしいよ。」
Bさん 「新しい形の茶碗で、今っぽいよね。『今焼茶碗』だね。」
↓
すこし間、『今焼茶碗』と呼ばれていました。
~さらに時が経ち、利休、長次郎没後
Aさん 「『今焼茶碗』の〝今焼″ていうには時間が経ったよね.。」
Bさん 「利休さんの孫、宗旦さんが活躍してる時代だしね。」
Aさん 「そういえばあの頃、聚楽第があったよね。利休さんそこに住んでて、
今焼茶碗は聚楽第の土を使ってるみたいよ。」
Bさん 「そうそう今焼茶碗つくった長次郎さん、秀吉さんから〝樂″の字を
うけ賜ったらしいね。」
Aさん 「これからは『聚楽焼茶碗』に呼び方変えよー。」
そして時代経て、『聚楽焼茶碗』→『楽焼』に簡略したのではないでしょうか。
ということだったかは想像ですが、勝手に現代風にしてみました。ただ、あまり外れてはないと思います。
「楽焼の〝楽″てなんですか?」この質問に簡単に答えるのはむずかしいですが、400年後の現在でも、楽焼があり、侘茶があり、樂家、千家が続いているのは、作る上でも、使う上でも面白み、楽しさがあるからではないでしょうか。
聚楽第というこの時代の象徴から、楽焼は生まれましたが、現在においても〝聚楽″=楽しみを集めるもの として楽焼は存在しているように思います。「楽焼=楽しい焼き物」これも正解ですね。


夏休みに京都に行ってきました。そして楽美術館に行きました。
館内は撮影禁止ですので、自分の目で、脳に茶碗を保存しておきました。

↑これは8月8日にテラで行った楽焼の作品。(伊賀土+珪砂、透明釉+銅、炭化)